2014年11月15日土曜日

心の彷徨(2、東日本大震災)

 

 千振を訪れてから何年か後に、東日本大震災が起った。大津波が東北地方の海岸を襲い、多くの人命が失われたとともに、福島第一原子力発電所で大事故が発生した。
 
 原発の事故は私を震撼させた。私たちも被災者になる可能性があったからだ。その後、事態は私たちにとって最悪の方向には拡大せず、私は自分たちが避難せずに済むと安堵した。この時期に、私の心の中に千振(チブリ)の記憶が蘇った。私は大津波で両親を流された震災孤児がいると聞かされた。私の心は奮い立った。家族を失った孤児たちが新しい家族を作り上げるまで里親として面倒をみたいと考えたのだ。
 私は東北地方のある県庁の児童福祉課に電話を入れた。幸い孤児たちは親戚に身を寄せて、今のところ当てのない子はいないという。それから、里親は制度であって、その資格を得るためには研修を受ける必要があると教えられた。とりあえず資格だけでも取ろうと考えて、私は最寄りの児童相談所に里親研修について相談した。
 

  ある日、児童相談所の職員さんと市の担当保健師さんたちが我が家を訪れた。里親研修を受ける前に、我が家が里子を引き受けるために適切な環境であるか否かを確認に来たのだ。
 いくつかの質問と応答があり、私は千振(チブリ)の感動と震災を経て里親制度にたどり着いた心の軌跡を素直に語った。市の職員さんの口添えもあり、我が家は里親として適切な環境と見なされたようであった。児童相談所の職員さんの話では、現時点では震災孤児の問題は地元で対応されていて、当県においての需要はないとのことであった。児童相談所の対応している問題は虐待が主であった。親がいるだけに大変苦労の多い仕事らしい。児童福祉施設に入所している子供たちも多くが虐待のためだという。親から虐待を受けている子の対応は苦労が多い。時には夜中に警察の応援を受けて、家庭に赴き、虐待されている子供を救い出すことがあるという。私は素直に訊いていた。しかし、親の責任で虐待された子供たちに手を差し伸べることに意義あるか?という私の疑問は払拭されなかった。そこで、私は口に出しにくいことではあったが、核心的な質問をした。“私は医師なので、無理な仕事や苦労の多い仕事があるけど、患者さんや家族にお陰様で具合がよくなったと感謝されるとき苦労が報われ、遣り甲斐を強く感じることができる。あなたたちは、親からは理解されずに白い目で見られ、時には罵声を浴びせられたり危険に迫られたりすることがあっても、直接的に誰からも感謝されない。それなのに、何故そんなに熱意を持って虐待の問題に取り組むことができるのですか?”

 虚を突かれたような静寂の時間が流れ始めた。その時、ある女性職員が答えた、“それは、子供が可愛いからです。今、目の前にいる子がとても可愛いのです。虐待を受けている子供たちは例外なく、みんな本当に可愛いのです。自分が子のこのためになりたいと強く感じるのです。”聞いていた私の目頭が熱くなった。自分の知らない世界と経験を教えられて、私はそれを受け入れることができた。

 また、職員さんたちは私たちの状況を考慮して、“ふれあい里親”についても説明してくださった。虐待で施設に入所している子供のためには“ふれあい里親”も必要とされているという。要するに、虐待を受けながら育った子供たちは大人になった時にどのように家族を作ったら良いかが分からないそうである。施設の中だけで子供たちに家族の味まで教え込むことは難しいので、ふれあい里親という制度が用意されている。家族の姿を見せるために夏休みなどを利用して一時的な里親として子供を短期間だけ預かるわけですが、子供たちは間違いなくとても喜ぶという。
 

 我が家は里親の環境として合格した。私は震災孤児の問題を離れて、虐待と児童福祉の問題に関わりたいと思うようになっていた。

 そして、里親研修を受けた。

(画像は本文と直接関係ありませんが、我が家の点景です。)
 

0 件のコメント:

コメントを投稿